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SECHSUNDDREISSIG ANSICHTEN VON JAPAN 日本三十六景

 
 

Susanne CONCHA EMMRICH スザンネ•コンチャ•エムリッヒ  (Haikus 俳句)
Noriko QUENOT ノリコ・クノー  (Aquarelle 水彩画)
Miu KAMIFUJI 上藤未羽  (Gestaltung レイアウ)

Hardcover (16,5 x 24,5 cm), 108 Seiten
Fuldatal: edition federleicht, 2024. € 30,00
ISBN-13: 978-3-946112-95-2 [978-3946112952; 9783946112952; ISBN 10: 3-946112-95-1, 3946112951]
Verlag: edition federleicht

 
   
   
   

 
   
   
   

Vorwort

 
 

Als ich von meiner ersten Reise nach Japan 2005 zurückkam, stellten sich Haikus bei mir ein. Gleichsam blinde Passagiere. Ich saß in der Sonne und sie strömten unaufhaltsam auf das Papier. Der Puls der Japaner, der Rhythmus ihrer Gesellschaft, mein Blick, mein Erleben – all das hatte die Verse im Verborgenen wachsen lassen. Das Hervorquellen von Haikus stellte sich fortan nach jeder Japanreise ein. Manchmal drängten sie schon im Flugzeug heran. Es beglückte mich.

Dank eines Stipendiums verbrachte ich den Dezember 2018 im Hotel Chevillon in Grez-sur-Loing, eine Zugstunde südlich von Paris. Ich schrieb an einem Essay über Japonismus in der schwedischen Malerei. Einer der schwedischen Maler-Protagonisten, Carl Larsson, hatte sogar einige Jahre in derselben Pension gewohnt und hier seinen künstlerischen Durchbruch geschaffen und geschafft…
Eines Abends lud ein griechisch-englisches Paar zur Wiedereröffnung seines B&B ein paar Häuser weiter ein. Das ganze Dorf schien sich einzustellen im intimen Lichtermeer des alten Anwesens. Sie stand in der festlichen Küche mit leuchtenden Augen und zeigte den Umstehenden etwas mit lebhaften Gesten. Sie blätterte Bildtafeln um wie ein Geschichtenerzähler auf der Straße im alten Tokyo. Das war ihr Buch für Kinder, nacherzählt, gemalt und gestaltet von ihr. So lernte ich Noriko Quenot kennen.

Am nächsten Tag kam sie zu mir in die Pension und schaute sich meine Filme an, darunter einen Dokumentarfilm über den japanischen Judenretter Chiune Sugihara. Sie zeigte sich beinahe bestürzt darüber, dass sie die Geschichte Sugiharas überhaupt nicht gekannt hatte. Ich dagegen bin außerstande, ihren japanischen Garten zu beschreiben. Mit allen Elementen versehen, die ein japanischer Garten haben muss, war er in dieser französischen Landschaft überwältigend. Eine Liebesgabe ihres französischen Mannes, entworfen von ihm und angelegt auf großzügig bemessenem Terrain. Vom einladenden Küchentisch aus geht ihr Blick durch eine hohe Glastür auf den Garten – ihr Japan lebendig alle Jahreszeiten hindurch.

Bevor wir uns voneinander verabschiedeten, hatte ich schon angefragt, ob sie einmal Illustrationen zu meinen Haikus schaffen wolle. Ein paar Monate später erneuerte ich durch eine Kunstpostkarte unseren Kontakt. Fröhlich­-höflich war ihre Erfahrung mit meiner Handschrift: I watched your postcard (with my heart) … and one week later I understood quite all… our collaboration will be “Reading feeling.”
Das Jahr verbrachten wir geschäftig, jede an ihrem Ort. Ich nahm Abschied von Schweden.

Als meine tätige Liebe zu Japan von Schweden aus einen vorläufigen Punkt – oder eher ein Semikolon – erfuhr, sichtete ich meine die Jahre hindurch entstandenen Haikus. Die Auswahl wurde zu „Sechsunddreißig Ansichten von Japan“. Jetzt war es soweit. Im Herbst 2019 schickte ich Noriko die 36 Haiku in deutscher Sprache, zusammen mit einer englischen Rohübersetzung. Dazu einige ausgewählte in französischer Übersetzung. Ich charakterisierte meine Haiku-Sammlung als eine Art Reise durch Japan, zu den Plätzen und Menschen, die mich berührt hatten. Ihre Antwort kam prompt: sie werde sich Zeit nehmen, um alles zu verstehen. Manchmal komme ihr die Vorstellung, das Bild, leicht, manchmal gar nicht. Sie werde auch darum bitten, wenn möglich, ihr ein Haiku zu erklären oder die Umstände seiner Entstehung zu erhellen.

Dann das erste Bild – ein Regenbogen. Mehrere Entwürfe. Ich wähle den farbenfrohesten und abstraktesten aus. Der Beginn des Freudenreigens morgens, wenn ich die Mailbox öffne und ihre Entwürfe des Abends oder gar der Nacht entdecke. Zuweilen kommen mir Tränen vor Glück… Februar 2020, als sich etwas anderes Großes, aber Schreckliches anbahnt – die Corona-Pandemie. Die Zusammenarbeit sollte uns durch die nächsten Monate tragen, die schwere Zeit ertragen helfen.

Ich bewundere ihre Phantasie und ihr meisterliches Malgeschick. Auch den Humor, der oft hindurchscheint. Es gab Missverständnisse, dem Umstand geschuldet, dass wir nicht die Muttersprache der anderen sprechen. Aber wir tasteten uns zueinander vor, geduldig. Ihre Bildsprache verändert meine Haikus von Gegenwärtigkeit hin zu Allgemeingültigkeit oder zu einer anderen Sichtweise. Besonders Letzteres erlebe ich als große Bereicherung: Während sie die uralte Krähe, Symbol für Japans Alter und Weisheit, schmal und ikonisch ein wenig hexengleich malt, sehe ich sie eher rund und satt und gebieterisch. Während ich die hohe Abschirmung Dejimas von Nagasaki als die Neugier der Holländer-Ausländer anheizend beschreibe, lässt sie die Japaner ihrerseits über die Mauer auf die Fremden schauen… Wir beide dehnen unsere japanischen Horizonte aus.

Nachdem aus dem Essay die Monographie „Japan, meine Heimat“ geworden war und ich sie beim Ostasien Verlag veröffentlichen konnte, wandte ich mich wieder der Haiku-Sammlung und den Illustrationen zu. Aus der Erfahrung unserer Erörterungen eines jeden Haiku heraus schrieb ich einführende Texte.

Und plötzlich begann Noriko, meine Haikus ins Japanische zu übersetzen! Überraschung und Freude und Dankbarkeit angesichts eines solchen Einsatzes der Malerin und Erzählerin…

Der Titel dieses Reisebuches durch Japan in Haiku und Bild ist die furchtlose Anspielung auf die „36 Ansichten des Berges Fuji“ von Katsushika Hokusai (ca. 1830–35).

Kommen Sie mit auf die Reise!

Susanne Concha Emmrich
Burg Runkel an der Lahn im Frühling 2022

   
   
 

 
   

Haiku Nr. 2

 
   
 

 
 

初 め て の 日 本 へ の 旅 か ら 帰 っ た 2005年 、 俳 句 が 私 の 頭 に 浮 か ん だ 。 ま る で 密 航 者 の よ う に 。 日 向 に 座 っ て い た 私 に 、 俳 句 が 止 む こ と な く 紙 の 上 に あ ふ れ 出 て き た 。 日 本 人 の 脈 拍 、 社 会 の リ ズ ム 、 私 の 目 線 、 私 の 伝 験— こ れ ら す べ て が 潜 ん で い た 詩 を 成 長 さ せ た 。 あ ふ れ 出 る 俳 句 は 、 日 本 へ 旅 す る ご と に 頭 に 浮 か ん だ 。 飛 行 機 の 中 で 出 て く る こ と も あ っ た 。 私 は 幸 せ に 浸 っ た 。

2018 年 12 月 、 奨 学 金 を 得 て 、 パ リ の 南 、 電 車 で1時 間 の と こ ろ に あ る グ レ=シ ュ ル=ロ ワ ン に あ る 芸 術 家 の た め の 長 期 滞 在 施 設 で あ る ホ テ ル ・ シ ュ ヴ ィ ョ ン に 滞 在 し た 。 私 は ス ウ エ ー デ ン 絵 画 に 見 ら れ る ジ ャ ポ ニ ス ム に つ い て の エ ッ セ イ を 書 い て い た 。 こ の エ ッ セ イ に 登 場 す る ス ウ ェ ー デ ン 人 画 家 の 一 人 カ ー ル ・ ラ ー シ ョ ン は な ん と 数 年 間 、 私 が 滞 在 し て い た ホ テ ル に 住 み 、 こ こ で 芸 術 家 と し て の 突 破 口 を 開 き 、 創 作 し た…

あ る 晩 、 ギ リ シ ャ 人 と イ ギ リ ス 人 の 夫 妻 が 、 ゲ ス ト ハ ウ ス か ら 数 軒 先 に あ るB&Bの 再 開 を 祝 う パ ー テ ィ ー に 招 待 し て く れ た 。 村 全 体 が 古 い 屋 敷 の 居 心 地 の よ い 光 の 海 に 溶 け 込 ん で い る よ う に 見 え た 。 お 祝 い の 場 で 、 彼 女 は 目 を 輝 か せ て 立 ち 、 周 り に い る 人 た ち に 何 か を 生 き 生 き と し た 身 振 り で 示 し て い た 。 東 京 の 古 い 町 並 み の 中 で 紙 芝 居 を 見 せ る 人 の よ う に 、 彼 女 は 絵 の パ ネ ル を め く っ て い た 。 そ れ は 子 ど も た ち の た め の 本 で 、 彼 女 が 語 り 直 し 、 絵 を 描 き 、 デ ザ イ ン し た も の だ っ た 。 こ れ が 私 と ノ リ コ ・ ク ノ ー と の 出 会 い だ っ た 。

翌 日 、 彼 女 が 私 の 滞 在 先 に 来 て 、 私 の 作 っ た 映 画 を 見 た 。 そ の 中 に は ユ ダ ヤ 人 を 救 っ た 日 本 人 杉 浦 千 畝 に つ い て の ド キ ュ メ ン タ リ ー も あ っ た 。 杉 原 の 話 を 全 く 知 ら な か っ た こ と に 彼 女 自 身 驚 き を 隠 せ な か っ た 。 逆 に 私 は 彼 女 の 庭 園 を 書 き 表 す こ と が で き な か っ た 。 庭 園 は フ ラ ン ス の 風 景 を 圧 倒 し て い た 。 フ ラ ン ス 人 の 夫 君 か ら の 愛 の 贈 り 物 で あ り 、 夫 君 自 身 に よ っ て ゆ と り あ る 敷 地 に 造 ら れ た 庭 園 だ 。 キ ッ チ ン の テ ー ブ ル か ら ガ ラ ス 扉 越 し に 庭 園 が 見 え る— す べ て の 季 節 を 通 し て 彼 女 の 日 本 が 。

別 れ る 前 に 、 私 の 俳 句 に 挿 絵 を 描 い て く れ る か ど う か を 尋 ね た 。 数 か 月 後 、 私 は 一 枚 の 絵 葉 書 を 書 き 、 私 た ち の コ ン タ ク ト が 再 開 さ れ た 。 私 の 葉 書 へ の 彼 女 の 返 事 は 楽 し く て 丁 重 だ っ た 。 「 あ な た の 葉 書 を 見 ま し た ( 心 か ら )… そ し て1週 間 後 に 私 は す べ て を 理 解 し ま し た… 私 た ち の 共 同 作 業 は 『 気 持 ち を 読 む 』 こ と に な る で し ょ う 」 。

そ の 年 、 私 た ち は そ れ ぞ れ の 場 所 で 忙 し く 過 ご し た 。 私 は ス ウ ェ ー デ ン に 別 れ を 告 げ た 。 ス ウ ェ ー デ ン に い た 私 の 日 本 へ の 積 極 的 な 愛 が 一 つ の 点 ( あ る い は 中 間 点 ) に 達 し た と 思 え た と き 、 日 本 中 を 旅 し て い る 間 に 生 ま れ た 俳 句 を 整 理 し た 。 こ こ で 選 ば れ た の が 「 日 本 三 十 六 景 」 と な っ た 。 こ れ で 一 区 切 り 。2019年 秋 、36の ド イ ツ 語 の 俳 句 に 英 語 の 下 訳 を つ け て ノ リ コ に 送 っ た 。 さ ら に い く つ か の 俳 句 を 選 ん で フ ラ ン ス 語 の 訳 も つ け た 。 私 の 俳 句 集 に は 、 日 本 で 私 の 心 に 触 れ た 場 所 や 人 々 を 訪 れ る 旅 と い う 性 格 を 持 た せ た 。 彼 女 か ら の 返 事 は す ぐ に 来 た 。 「 俳 句 を 理 解 す る た め に 時 間 を 取 り ま し ょ う 。 わ か り や す い 考 え や イ メ ー ジ も あ れ ば 、 全 く そ う で な い も の も あ り ま す 。 可 能 で あ れ ば 、 俳 句 そ の も の に つ い て 、 あ る い は そ れ が で き た 背 景 を 説 明 し て ほ し い と 思 い ま す 」 と い う 返 事 だ っ た 。

そ れ か ら 最 初 の 絵 、 虹 の 絵 が 来 た 。 い く つ か の 草 案 も 。 私 は 最 も 色 合 い が 楽 し く 、 抽 象 的 な も の を 選 ん だ 。 メ ー ル ボ ッ ク ス を 開 け 、 前 の 晩 あ る い は 夜 に 彼 女 が 描 い た 原 案 を 見 つ け る と い う 喜 び が 始 ま っ た 。 幸 せ の あ ま り 涙 が 出 る こ と も あ っ た…2020年2月 、 別 の 大 き な 、 恐 ろ し い こ と が 起 こ り 始 め た 。 コ ロ ナ 禍 で あ る 。 共 同 作 業 が そ れ 以 後 の 数 か 月 の 間 、 私 た ち を 支 え 、 困 難 な 時 期 を 耐 え る こ と を 助 け て く れ る こ と に な っ た 。

彼 女 の 想 像 力 、 卓 越 し た 絵 画 技 術 に 感 服 し た 。 さ ら に 垣 間 見 え る ユ ー モ ア 。 私 た ち が 相 手 の 母 語 を 話 さ な い こ と に よ る 誤 解 も あ っ た 。 そ れ で も 私 た ち は 相 手 に 向 か っ て 手 探 り で 進 ん だ 、 辛 抱 強 く 。 彼 女 の イ メ ー ジ 言 語 は 私 の 俳 句 を 現 在 的 な も の か ら 普 遍 的 な も の 、 あ る い は 別 の 見 方 へ と 変 え た 。 特 に 見 方 を 変 え る こ と は 大 き な 豊 か さ を も た ら す も の で あ る こ と を 体 験 し た 。 例 え ば 彼 女 は 日 本 で 古 く か ら 年 齢 と 知 恵 の 象 徴 で あ る カ ラ ス を 、 細 身 で 物 語 風 に 、 し か も 少 し 魔 女 の よ う に 描 い た 。 一 方 、 私 に と っ て カ ラ ス は 丸 み が あ り ふ く よ か で 、 周 り を 支 配 し て い る よ う に 見 え る 。 私 が 長 崎 の 出 島 の 高 い 防 護 壁 を オ ラ ン ダ 人 の 好 奇 心 を 高 め る も の と し て 書 い た の に 対 し て 、 彼 女 は 壁 の 向 こ う に あ る 異 国 的 な も の を 見 る 日 本 人 を 描 い て い る… こ う し て 私 た ち は 二 人 と も そ れ ぞ れ 自 分 た ち の 日 本 へ の 視 野 を 広 げ て い く 。

ス ウ ェ ー デ ン の 画 家 に つ い て の 私 の エ ッ セ イ が 、 単 行 本 「 日 本 、 私 の 故 郷 」 と し て オ ス ト ア ー ジ ェ ン 出 版 社 か ら 出 版 さ れ た 後 、 私 は 再 び 俳 句 集 と イ ラ ス ト レ ー シ ョ ン に 向 か っ た 。 一 つ 一 つ の 俳 句 に つ い て の 私 た ち の 話 し 合 い の 経 験 を も と に 、 私 は 俳 句 が 生 ま れ た 背 景 に つ い て の 文 章 を 書 い た 。

す る と 突 然 ノ リ コ が 私 の 俳 句 を 日 本 語 に 訳 し 始 め た ! 画 家 と し て 、 語 り 手 と し て 参 加 し て く れ た 彼 女 が 、 こ ん な に 積 極 的 に 関 わ っ て く れ る こ と へ の 驚 き と 喜 び 、 感 謝 の 気 持 ち…

俳 句 と 絵 を 通 し て 日 本 を 旅 す る 紀 行 文 に は 、 大 胆 不 敵 に も 葛 飾 北 斎 の 「 富 獄 三 十 六 景 色 」 (1830–35年 ご ろ ) を 思 わ せ る タ イ ト ル を つ け た 。

一 緒 に 旅 に 出 か け ま し ょ う !

ス ザ ン ネ ・ コ ン チ ャ ・ エ ム リ ッ ヒ
2022 年 春 ブ ル グ ・ ル ン ケ ル ・ ア ン ・ デ ア ・ ラ ー ン に て

[訳: 山下秋子]

 
 

 
   

Haiku Nr. 8

 
   
 

Nachwort

 
 

Ich bin nach Japan gereist.

Ich bin Japanerin, aber dieses Mal war es die Deutsche, Susanne, die mich durch mein Land geführt hat.

Ich folgte ihrem Weg durch 36 Landschaften Japans.

Als ich Susanne zum ersten Mal traf und sie mir von ihrem Vorhaben erzählte, hatte ich ihre Haikus noch nicht gelesen.

Ich dachte, es wäre ein Versuch, mit wenigen Wörtern (Haiku) Bilder hervorzurufen. Weiterhin fragte ich mich: Kann dieses Werk dank der „Unschärfen“ aufgrund von Sprachunterschieden interessant werden? Ich stellte mir vor, dass die Bilder eher abstrakt sein sollten …
Und dann habe ich die auf Englisch und Französisch übersetzten Haikus erhalten, ja, und einige Monate später war der Moment für mich gekommen, den Pinsel in die Hand zu nehmen. Das war im Frühling 2020, so ungefähr im selben Moment wie die erste strenge Covid-Ausgangsbeschränkung in Frankreich. So bin ich zu Hause geblieben und versuchte zu malen, was mir in den Sinn kam: Haiku für Haiku, Schritt für Schritt. Bald jedoch bin ich Haikus begegnet, die in mir keine Bilder erweckten. Was für eine Situation ist angesprochen? Das sind alles andere als „Unschärfen“, die ich vorher noch interessant fand. Ich bin ganz ratlos … Ich hatte keine andere Möglichkeit, als Susanne um eine Erklärung zu fragen … Nach ihrer Erklärung sah ich auf einmal unerwartete Situationen und Landschaften, die ich nicht erwartet hatte! Ach ja, SO ist das gemeint! Auf diese Weise habe ich den Weg meiner eigenen Interpretation verlassen und betrat das Japan, das Susanne gesehen und gefühlt hat.

Das Japan der Fremden mit den fragenden Gefühlen, mit dem respektvollem Blick, mit dem träumerischen Betrachten voller Achtung … auch begleitet von Gedanken für ihren Sohn, der in Japan lebte. Es war das Japan, welches ich kannte und das Japan, welches ich nicht kannte.

Wenn ich mir die 36 Landschaften, die ich gemalt habe, noch einmal ansehe, bin ich selbst erstaunt wie uneinheitlich sie sind. Denn so wie Susanne von jeder Landschaft, der sie begegnete, überrascht war, so war ich von ihrer Sichtweise, die sich in jedem Haiku offenbarte, überrascht und konnte diese mit ihr nachempfinden. Ja, ich habe Japan mit ihr betrachtet – manchmal folgte ich der Geschichte Japans und habe dabei so gemalt, wie deren Herz mich angesprochen hat.

Oft sagte ich zu mir selbst in dieser Zeit: Wirklich, das ist ein seltsamer Zufall, wie ich eingeladen wurde, auf diese Reise zu gehen, auf der ich das Land Japan erneut erkunde und betrachte, während im gleichen Moment die ganze Welt sich selbst einschließt… Was für eine Überraschung! Es ist, als ob dieses Land den Schlüssel zu der verschlossenen Welt in sich barg …
In der Welt gingen die Corona-Unruhen weiter bis man sogar eine Impfpflicht einführte. Susanne berichtete mir von der Veröffentlichung. Ich wollte gerne ihre Haikus, in welcher Form auch immer, ihrer japanischen Familie vermitteln. Dabei erinnerte ich mich an das Hochzeitsfoto ihres Sohnes im herrlichen Kimono mit seiner japanischen Braut. So versuchte ich ihre Haikus ganz eigenmächtig zu übersetzen. Zu den meisten Haikus, wenn nicht zu allen, habe ich beim Malen Kommentare von ihr gehört, woraufhin ich die Haikus sozusagen in Wasserfarben übertragen habe. So brauche ich sie dann nur ins Japanische mit 5-7-5 Silben zu übersetzen. Weit gefehlt! Ich stieß frontal auf die Diskrepanzen der Sprachen. Beim Aufzählen der gleichen 5-7-5 Silben gibt es große Unterschiede in der Wörterzahl zwischen der deutschen und der japanischen Sprache. Will man am 5-7-5-Rhythmus der japanischen Sprache festhalten, kann man nicht mal die Hälfte der Wörter verwenden, die Susanne beim Dichten benutzte. Zum Beispiel entsprächen die fünf Wörter, mit denen sie eine Landschaft oder ihre Gefühle gestaltet hat, gerade zwei Wörtern auf Japanisch, wenn nicht sogar nur einem einzigen Wort.

In der Silbensprache ist Japanisch sehr ineffektiv! Aus diesem Grund musste ich mich sehr einschränken, und ich wusste nicht, wie weit ich mit meiner Übersetzung Susannes Empfinden nahe kommen konnte. Die japanische Sprache ist dazu auch sehr atmosphärisch, so dass eine kleine Veränderung ganz andere Nuancen schafft. Solche Einschränkungen haben mich andererseits zu mehr Toleranz im Spiel der Wörter geführt. Während solcher Entdeckungen entstanden diese Erstlingsübersetzungen. Ich würde mich freuen, dass die Menschen in Japan diese Gedichte in dieser Form lesen können.

Noriko Quenot
Bourron-Marlotte im Frühling 2022

 

 
   

Haiku Nr. 18

 
   
 

 
 

私 は 日 本 を 旅 し た 。

私 は 日 本 人 だ け れ ど 、 今 回 の 旅 の 案 内 役 は ド イ ツ 人 の ス ザ ン ヌ だ っ た 。 彼 女 が た ど っ た 日 本 の36景 を 私 も た ど っ て い っ た の だ っ た 。

は じ め に 彼 女 に 出 会 い こ の 話 を 持 ち か け ら れ た 時 、 私 は ま だ 彼 女 の 俳 句 を 読 ん で い な か っ た 。 た だ 俳 句 、 つ ま り 短 い 言 葉 の う ち に 喚 起 さ れ る イ メ ー ジ を 抽 出 す る と い う 試 み に な る の だ ろ う な あ 、 と 思 っ た 。 ひ ょ っ と し た ら 言 語 の 違 い か ら 生 じ る で あ ろ う “ ズ レ” が か え っ て 面 白 い か も し れ な い 、 多 分 そ れ は 半 抽 象 的 な 絵 に な る ん じ ゃ な い か な と お ぼ ろ に 想 像 し た 。

や が て フ ラ ン ス 語 や 英 語 に 訳 さ れ た 句 が 送 ら れ 、 そ の う ち タ イ ミ ン グ も や っ て き て 旅 立 ち と あ い な っ た 。2020年 の 春 、 フ ラ ン ス で も ロ ッ ク ダ ウ ン が 始 ま っ た 頃 だ っ た 。 そ れ で 家 に 閉 じ こ も っ て 一 句 一 句 、 一 歩 一 歩 、 イ メ ー ジ と し て 見 え て く る も の を 描 い て い っ た 。 け れ ど も 程 な く イ メ ー ジ の 掴 め な い 句 に 出 く わ し て い っ た 。 こ れ は 一 体 ど う い う 状 況 な の だ ろ う ? こ れ じ ゃ あ ズ レ が 面 白 い ど こ ろ で は な い 、 全 く お 手 上 げ で は な い か 。 そ れ で 仕 方 な く ス ザ ン ヌ に 解 説 を 求 め る こ と と な っ た 。 す る と ど う だ ろ う 、 目 の 前 に 思 い が け な い 状 況 や 光 景 が ひ ら け た 。 な あ ん だ 、 そ う い う こ と だ っ た の か 。 こ う し て 私 は 私 の 勝 手 な 解 釈 を 抜 け 、 ス ザ ン ヌ が 見 た 、 感 じ た 日 本 に 入 っ て ゆ く こ と に な っ て い っ た 。

そ こ に は 異 邦 人 か ら 見 た 日 本 へ の 違 和 感 、 畏 敬 や あ こ が れ 、 そ し て ま た 日 本 に 住 ん で い た 息 子 さ ん へ の 思 い も ち り ば め ら れ て い た 。 そ れ は 私 の 知 っ て い る 日 本 で も あ り 私 の 知 ら な い 日 本 の 姿 で も あ っ た 。

さ て こ う し て 描 い た36景 、 改 め て 眺 め る と 、 ま る っ き り 一 貫 性 が な い の に 自 分 で も 呆 れ て し ま う 。 そ れ と い う の も ス ザ ン ヌ が 出 会 っ た 異 国 の 風 景 に そ の 都 度 驚 い た よ う に 私 も ま た 一 句 一 句 に 明 か さ れ た 彼 女 の 視 点 に そ の 都 度 驚 き 共 感 し た 故 と 言 う こ と だ ろ う 。 そ う 、 彼 女 と 共 に 改 め て 眺 め た 日 本 、 時 に は そ の 歴 史 を 辿 り 、 そ の 心 が 私 に 話 し か け て く る ま ま に 作 画 し た と い う こ と だ 。

そ れ に し て も 描 き な が ら 何 度 も 不 思 議 に 思 っ た も の だ 。 誘 わ れ る ま ま に 乗 じ た こ の 旅 、 改 め て 日 本 と い う 国 を 探 り 見 つ め る と い う こ と 、 そ れ が 世 界 が 一 斉 に 閉 じ 込 め ら れ て い る こ の 時 に 展 開 し て い る… な ん と い う こ と だ ろ う… ま る で こ の 国 に こ の 閉 じ 込 め ら れ た 世 界 を 開 く 鍵 が あ る と で も い う の だ ろ う か と 。

そ の 後 も 世 間 は コ ロ ナ 騒 ぎ が 続 き 、 ワ ク チ ン 強 制 に ま で 向 か っ て い っ た の だ け れ ど 、 ス ザ ン ヌ か ら は や が て 出 版 の 話 が き た 。 私 は そ れ が ど ん な 形 を と る に せ よ 、 い つ か ス ザ ン ヌ が 見 せ て く れ た 立 派 な 着 物 姿 の 息 子 さ ん と 日 本 人 の お 嫁 さ ん の 結 婚 式 の 写 真 を 思 い 出 し て 、 彼 女 の 日 本 の ご 家 族 に 彼 女 の 詠 ん だ 句 を 伝 え た い な あ と 思 っ た 。 そ れ で 全 く 勝 手 に 彼 女 の 句 の 翻 訳 を 試 み た 。 全 て の 俳 句 で は な い け れ ど 大 方 の 句 は 作 画 の 際 に 彼 女 か ら コ メ ン ト を 聞 い て き た わ け で 、 い わ ば 水 彩 に よ る 翻 訳 を し て き た よ う な も の だ か ら 今 度 は 日 本 語 の575で 訳 せ ば 良 い の だ 。 と こ ろ が ! そ れ こ そ 言 語 の ギ ャ ッ プ に 正 面 か ら 突 き 当 た る こ と と な っ た 。 同 じ575の 音 の 数 え 方 で も ド イ ツ 語 と 日 本 語 で は 語 数 が 全 く 違 っ て く る 。 日 本 語 の575の リ ズ ム を 守 ろ う と す る と 彼 女 の 使 っ た 言 葉 の 半 分 も 使 え な い の だ 。 例 え ば 彼 女 が5つ の 言 葉 か ら 情 景 や 心 情 を 表 出 し た と し て も 日 本 語 で は 効 率 が 悪 い ! そ の た め か な り の 制 限 が か か り 、 こ れ で ど れ く ら い 彼 女 の 心 情 に 即 せ ら れ る か が 問 題 だ っ た け れ ど 、 日 本 語 と い う の は そ れ で い て と て も 雰 囲 気 的 で 、 ち ょ っ と し た こ と で ニ ュ ア ン ス が 変 わ る 、 制 限 も 言 葉 を 操 る 遊 び に 変 え て く れ る 許 容 力 が あ る 。 そ ん な こ と を 発 見 し な が ら の 稚 拙 な 翻 訳 だ け れ ど こ れ で 日 本 の 方 々 に も 注 目 し て い た だ け れ ば 幸 い で す 。

ノ リ コ ・ ク ノ ー
2022年 春 マ ル ロ ッ ト に て

 

 
   

Haiku Nr. 20

 
   
 

Noriko QUENOT ノリコ・クノー

 
 

Aquarellistin. Sie lebt seit 1993 in Frankreich.

Nach ihrem Studienabschluss an der Zokei-Universität in Tokyo im Jahr 1983 arbeitete sie als Illustratorin für Zeitschriften und Werbung. Sie hatte auch mehrere Einzelausstellungen in Japan. Seit 2008 malt sie Bilder zu japanischen Märchen und Kindergeschichten und präsentiert diese als Kamishibaï (Papiertheater).

Darunter sind „Rêve de poisson“ (Fischtraum) von 2016 und „mini kamishibaï: Le Bois des loups, Le Bois du panier et Le Bois de voleur“ (Wölfewald, Korbwald, Räuberwald) von 2018. Beide Bücher hat sie jeweils in einer französischen und in einer japanischen Sprachfassung veröffentlicht.

水 彩 画 家 、199 3年 よ り フ ラ ン ス に 在 住 。

1983年 、 東 京 造 形 大 学 を 卒 業 後 、 雑 誌 、 広 告 な ど で イ ラ ス ト レ ー タ ー と し て 従 事 す る 傍 ら 、 個 展 を 開 催 し 数 々 の 作 品 を 発 表 。2008 年 よ り 、 日 本 童 話 の 挿 絵 を 描 き 、 紙 芝 居 と し て 公 演 を 始 め る 。

そ の う ち の “ 夢 の 魚”   を 2016 年 に 、“minikamishibaï: 狼 森 と 笊 森 、 盗 森” を 2018 年 に そ れ ぞ れ 日 仏2カ 国 語 に て 出 版 。

 
 

Susanne CONCHA EMMRICH スザンネ•コンチャ•エムリッヒ

 
 

Philologin, Lyrikerin, Schriftstellerin und Filmemacherin (Mitglied im schwedischen und deutschen Schriftstellerverband).


Sie hat über Menschen in den historischen Landschaften des Ostseeraums und Griechenlands veröffentlicht. Ihr großes Interesse für interkulturelle Begegnungen nach einem Jahrzehnt der Forschung zur europäischen Aufklärung fand einen Ausdruck in ihrem Buch Diese pompöse Schule! (2015) über Deutsche in Sankt Petersburg vom 17. bis ins 20. Jahrhundert.

Fernöstlich fasziniert sie seit der Jahrtausendwende zunehmend Japan. Sie hat Dokumentar­filme unter anderem über den japanischen Diplomaten und Judenretter Chiune Sugihara (2012) und über Japonismus (2018) gemacht. 2021 erschien ihre Monografie Japan, meine Heimat: Japonismus in der schwedischen Malerei. Carl Larsson, Bruno Liljefors und Anders Zorn. Sie hat Lyrik veröffentlicht, vor allem Haikus, und lebt nach vielen Jahren in Stockholm heute auf der Burg Runkel im Bundesland Hessen.

 

 
 

ド イ ツ の ヘ ッ セ ン 州 在 住 。

言語学者、詩人、俳人、作家、映画制作者、スウェーデンとドイツの作家協会会員。ヨーロッパの啓蒙主義に関して長年研究を行い、中でも異文化交流に焦点を当て、17 世 紀 か ら 20 世 紀 ま で の サ ン ク ト ペ テ ル ブ ル ク の ド イ ツ 人 に つ い て の 著 書  “Diese pompöse Schule!” (2015) を 執 筆 。

また、バルト海地域とギリシャの歴史的背景を持つ人々についての研究も行い様々なメディアで発表。 2000 年 以 降 、 日 本 に も 興 味 を 持 ち 、2012年、目本の外交官でユダヤ人難民救済に貢献した杉原千畝のドキュメンタリーを制作。 2018 年 に は 、 ジ ャ ポ ニ ズ ム に つ い て の ド キ ュ メ ン タ リ ー を 制 作 。 2021 年 、 ジ ャ ポ ニ ズ ム の 影 響 を 受 け た ス ウ ェ ー デ ン 画 家 カ ー ル ・ ラ ー シ ョ ン 、 ブ ル ー ノ ・ リ リ エ フ ォ ー ス 、 ア ン デ シ ュ ・ ソ ー ン を 研 究 し 、 ス ウ ェ ー デ ン 絵 画 に お け る ジ ャ ポ ニ ズ ム に つ い て “Japan, meine Heimat” を 執 筆 、 出 版 。